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Led Zeppelin 来日            [Led Zeppelin]


 1971年、僕が高1の時。 Led Zeppelin が初来日した。 7月 G.F.R. 、8月 Pink Floyd と来て、9月に Led Zeppelin だ。 いまの僕なら狂喜乱舞で行ける限り行くところだが、なんと僕は目と鼻の先にある 武道館 に行かなかった。 小遣いがさみしくなったのか、今となっては理由が定かではないが、その頃の僕は Led Zeppein がそれほどまでには好きでなかったのかもしれない。 翌年の再来日時にも行ってないのだから、一生もんの後悔が付きまとう。 特別な時代に居合わせているという実感が無かった。

 僕に ロック喫茶 ”ライトハウス” を教えてくれた小学校の同級生、秋元君。ホコテン仲間でもある。 歯医者の息子の彼は、小学校5年(1966年)になって転校して来た。その頃からエレキギターを持っていて、加山雄三のランチャーズやベンチャーズのレコードを持っていた。高1の時に再会した彼はツェッペリン、ディープパープル、フーのフリークになっていた。よく遊びに行った広い家の彼の部屋では Good Times Bad Times のシングルや "In Rock" "Who's Next" を しょっちゅう聴かされた。
 その彼は武道館に行き、大興奮で帰ってきた。ちょうど 4枚目の出る直前で、まだ初期の(会話録音用途が主だった)カセットで隠し録ったテープには新曲 Black Dog や Stairway To Heaven がグワングワンにまわった音で入っていた。 

 この手の隠し録りをした人間は当時かなりいたと思う。のちに出会った SONY のデンスケ(オープンリール・ステレオ)で録った ”Zep in 武道館” の音はさすがによかったが、たいていはトランジスタラジオを長い土管の中で聴いてるような音で、無骨なリミッターがたびたび音の遠近感を見失わせた。 

 後に大学になってから軽音に出入りしていた先輩に聞いた話し。 その人は会場警備のバイトをしていて、コンサート中はずっとステージに背を向けているという辛い立場だったが、その分余禄で サウンドチェック・リハーサルを見たという。 意外なことにプレスリーばかりをやっていたらしい。遊んでるようにしか見えなかったと言っていた。 後になってロバートプラントは大のエルビスファンと知る。

 90年代に入ってからだったか、深夜のTVで当時のワーナーパイオニアの担当者(偉くなって、背広着たおっさんにしか見えなかったけど)が 初来日のツェッペリンに同行して夜行列車で広島に行った話しをしていたが、めちゃくちゃ面白かった。 誰か持っていたら You Tube で流してもらいたい。 
 
 京都出身の元アイドルGS(銀座NOW 常連)というギタリストは、祇園のママから「ツェッペリンのメンバーが来てるからすぐ来い」と呼ばれ行くと、ジョンポールジョーンズが店のハモンドを延々奏でていたそうだ。 すごく上手かったらしい。


 さて、クロスオーバー、フュージョン、ディスコ、ブラックファンク、ブラコンの波をかぶった後の80年代に入ってから、30近くなった僕は Led Zeppelin の真の魅力に目覚める。 油絵のような彼らの音楽の重要な隠し味は、単にブルースだけではないブラックミュージックのエッセンス、湿りを帯びているがシャープなファンク感覚ではないかと思う。


ツェッペリンのレコード            [Led Zeppelin]


 翌 1972年、ツェッペリン2度目の来日。 先述の秋元君はまた武道館ライブの隠し録りをしてきて、今度も行かなかった僕に聴かせてくれた。 前回に続いて、次のアルバムの曲がお披露目されていた。
 
 ツェッペリンもデビューから5枚目の この”聖なる館” (House Of The Holy) までがいい。 出だし一曲目、"The Song Remains the Same" から、スピード、キレ、グルーヴが尋常ではない。 このアルバムは全体的に演奏がタイトだ。 ジェイムスブラウン好きがうかがえる曲もある。

 僕にとって最も レッドツェッペリン の真髄を感じさせてくれる曲は、4枚目最後の曲、"When the Levee Breaks" 。 リリースされて間もなく駅前のスーパー1階にあったレコード屋で買い、冬の昼下がり日だまりの中で針を落とした。 A面最後の "Stairway to Heaven" は初来日後 アルバムが出る前から話題になっていて、隠し録りライブ音源からイントロをコピーしてる輩もいたぐらい、すでに大変な評価を与えられていた。 でも僕は "When the Levee Breaks" に何とも得体の知れない魅力を感じた。

 ツェッペリンの少なくとも71、2年の来日したころのステージは、さながらCSN&Yのようにステージの前に椅子を並べ、アコースティックギターの曲をまとめて演るパートがあったようだ。 ポスターではジョンポールジョーンズがマンドリンを弾いてるのを見た記憶がある。
 彼らはラウドでヘビーなサウンドの部分が語られる事が多いが、アコースティックサウンド、ブリティッシュ・トラディショナルフォークへの傾倒も強い。 3枚目のB面には、まるまるその想いが詰まっている。 "Tangerine" がいい。

 高校時代、毎朝おなじ電車のおなじ場所に乗って来る女の子がいた。 途中の駅で彼女は降りる。 無言で意識していた。 当時、都立の高校は軒並み制服を廃止して自由服になった時期だった。 センスのいい、どちらかと言えばアイビー系の私服で通学するその娘がある朝、ツェッペリンの2枚目をまるでジャケットをこちらに見せるように、袋に入れずに抱えて立っていた。 話も出来なかったけれど、勝手に "The Lemon Song" が彼女にダブる。

 LPアルバムのジャケットはたいてい見開きで、内ジャケと言うのだろうか開いた内側がまた楽しみだったが、ツェッペリンの1枚目は見開きになったものを見た事がない。 ジャケットの裏にはセピア系にレトロぼかしが入った4人の顔。 デビュー当時の彼らもまた、えらくかっこいい。 ジョンボーナムがまだ痩せていて、いい男だ。



Led Zeppelin を もう少し            [Led Zeppelin]


 Led Zeppelin をジャンル分けすればハードロックになるのかもしれないが、彼らにしてみればそれは窮屈なものだったろう。 ライブにおいては、Pink Floyd を強く意識した発言も聞いた。
 よく引き合いに出される Deep Purple の後継者はその後のメタルシーンにも沢山いるようだけれど、Led Zeppelin  の後継者は思い浮かばない。 ヘビメタとツェッペリンの間には一線を画してもらいたいと思う。

 ロンドンにも1960年代、スタジオ・セッションミュージシャンのシーンがあったらしく、よく知られているように John Paul Jones と Jimmy Page はツェッペリン結成前にすでに出世していて、そのシーンで売れっ子であったらしい。 一方、Robert Plant と John Bonham は無名のバンドマン。 日本で同様のケースはちょっと想像つきにくいが、英米でもこんにちでは有り得ないかもしれないと思う。 
 
 John Paul Jones は、どうしたらそんなベースが弾けるようになるのか?と訊かれ、一言 「モータウン!」 と答えたと聞いた事がある。 フィル・アップチャーチを聴いてベースを始めたとも。 

 John Bonham のドラムプレイのルーツは、バディ・リッチだそうだ。 高校の頃これを聞いた時には奇異な印象を受けたが、ドラムソロなんかを聴くとなるほどと思う。 このバディ・リッチは往年の名ジャズドラマーで、Deep Purple の Ian Paice、E.L.P. の Carl Palmer もこの人をフェバリットにあげていた。

 90年代に入ると Led Zeppelin のブートレグも続々CDになり出回った。 何枚か手に入れたが、中でも特に "Live in London June 1969" というのが素晴らしい。 演奏は1st アルバムからだけの曲だが、なにかが降りて来ているような、ほとばしるようなプレイだ。 ロックミュージックにおける最も偉大な年、1969年。 こんなライブが世界中のあちこちで、毎晩のように行われていたんだろうか。

 しかもこの "Live in London June 1969" は、明らかにライン録りである。 ライブのブートレグ(海賊盤)には、「会場録音」(オーディエンスの隠し録り)と「ライン録音」がある。 ライン録音はPAのミキサー(調整卓)から直で録った音なので、公式のライブ録音盤と音質的にはそう遜色がない。 

 昔きいた噂を思い出した。 
 Jimmy Page は全ての Led Zeppelin の Live をライン録音でとってあって、それをたまに引き出しては聴いて悦に入っている。 ライン録音のブートレグはそれが内部関係者より漏れたもの。 いずれ金儲けのうまい彼のことだから、小出しにその膨大なコレクションからライブ音源を出してくるだろう。
 以上、あくまで噂。


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