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後楽園のG.F.R.        [Grand Funk Railroad]

 
 梅雨の終わりを告げる夕立が何日も続いていた。 あの1971年の7月。 高校一年の僕は連日"GFR LIVE” を聴いては指折りその日を待った。  当時の若いやつらの街はなんと言っても新宿。その西口の小田急にあったプレイガイドで、座席表を見ながら手に入れた後楽園のチケット。リリースしたての"Closer to Home" のジャケット図柄が印刷してあったっけ。

 17日は、ついにやってきた。 水道橋あたりは異様な熱気が漂っていた。 これまで何回か巨人戦を観に来たことがあったけれど、全く別の場所になっている。 席はバックネット、一塁側ダッグアウト寄りの前から10何列か目だった。 まず目を引いたのがステージの両側、かなり高い位置にそれぞれ1/4円状にセットされたスピーカー。 前座がいくつか出てその最後が”マッシュマッカーン”。その最中に突如 強い風が襲い、ステージ前のでかい板のような看板が飛んだ。 ざわつく場内。そして間もなく怒涛のような雷と雨。 オーディエンスの興奮は爆発した。 僕は日本人があんなに熱狂するのを見たことがない。

 GFRの登場は遅れるが、後楽園を埋め尽くした僕らの狂乱はおさまらない。 ただ皆 口々になにか叫びまくっている。 どれくらい待ったのだろうか。雨がすこし小降りになった頃、電光掲示板にメンバーの名前がバラバラっと表示され、ついについにマーク、ドン、メル の3人が、すぐ下の一塁側ダッグアウトから小走りに現れた!

 それからは・・・もう説明の域を超えてるし、必要もないだろう。 行けなかった悔しさか、「あれは感電が怖くてテープ流してたんだ」などと言うやつもいるが、そんなことはどうでもいい。 何万人もが至福の時を共有したんだ。 この曲になったら総立ちでなんていうお約束事の予定調和とは対極にある、地の底から湧いてくるような熱狂、これにみんな突き動かされていた。


 この彼らが最初に出したライブアルバムは、現在どう評価されているんだろう? 3人でやっていた頃の彼らがやはりいい。"On Time" "Grand Funk" "Closer to Home" のスタジオ録音3枚とこの "Live"。 ここまでを G.F.R.黄金の時代と呼びたい。


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